“昭和”から“平成”、そして“令和”へと元号が変わろうという今日。
そこには、終戦から74年経った現在でも、あの悲惨な戦争を風化させない衝撃的な光景が広がっていた。
埼玉県さいたま市と川越市の境に位置する旧荒川跡=びん沼。
高校のグラウンドから見下ろしたその河原には、白い丸みを帯びた物体が散乱していた。
陶器製の壷のようなもの……
そう、これは第二次世界大戦で使用された手りゅう弾の残骸なのだ。
終戦間近の日本は鉄が不足しており、このような陶器の手榴弾が製造されていた。
壷の中に火薬を仕込み、壷の口から導火線を入れて火を点け投げる。
ここにはこれを製造する手りゅう弾工場があり、終戦とともに目の前にあった川に手りゅう弾が投棄されたのだという。
おびただしい数の手りゅう弾の残骸が数十メートルに渡り広がっている。
対岸には公園があり、釣りを楽しむ者、散歩をする者などがおり、戦争など微塵も感じさせない。
平和が当たり前になっているが、70余年前にはここも“戦争”の一端だったのだ。
これを見ると「戦争は二度と起こしてはいけない」と感じさせられる。
新時代になろうとも、決して風化させてはいけない光景であった。