日本では、プロレスがエンターテイメントとプロスポーツのどちらかであるかをしっかりと線引きしてこなかったからこそ、そんな事態が起こるのだが、それがファンではなくプロレス内部から発信されてしまった事件があった。
1991年4月1日、神戸ワールド記念ホール。
この日は第一試合から不穏な闘いが行われていた。
SWS所属のアポロ菅原とプロレスリング藤原組所属の鈴木みのるの団体対抗戦は、まったく噛み合うことなくアポロ菅原が試合を放棄。
鈴木のUWFスタイルには付き合えないとばかりにリングを下りてしまったのだ。
ケンカの匂いさえ漂う緊張した雰囲気の中、リングに対峙したのは元横綱の北尾光司とWWFのトップヒール“ジ・アースクェイク”ジョン・テンタだった。
実はこの二人、この2日前に行われた東京ドーム大会で対戦し、テンタが勝利を収めている。
相撲の世界では北尾は頂点である“横綱”、テンタ=琴天山は無敗のまま引退したとはいえ“幕下”までしかいっていない。
しかし、プロレスの世界では北尾が駆け出しであるのに対し、テンタは世界最大のプロレス団体・WWFのトップスターだ。
その辺の立場上の“ねじれ”からくるお互いの感情がモロにリングに現れてしまった試合だった。
試合開始当初からお互い気持ちを探り合うように慎重に組み合う。
その探り合いから一気に感情が爆発したのがこのシーン。
素早く北尾のバックを取ったテンタがそのまま後方へ投げ捨て、レスリング技術で格の違いを見せつけたのだ。
場外へと退避した北尾が実況席の机をリングに向かって投げつけ激高する。
ここからはもうプロレスにはならなかった。
強引に脇固めを極めようとする北尾を振り払いテンタがガチの張り手をお見舞いする。
これに対し北尾は2本指を立て、テンタの目を狙ってひと突き!
これはテンタが避けたものの、これ以上やれば本当のケンカ……巨大で屈強な両者であれば殺し合いになりかねない。
この危険な空気を察知し割って入ったレフェリーを北尾が蹴り飛ばし、反則負けのゴングが打ち鳴らされた。
ここまででもプロレス史に残る不穏試合であるが、さらに北尾が暴走する。
テレビやビデオには収録されなかった衝撃のシーンが動画サイトにアップされているのだ。
北尾は、試合結果を告げるリングアナウンサーのマイクを奪い取ると、
「八百長ばかりやりやがって、この八百長野郎!!」
と吐き捨てる。
会場中から怒号が飛び交う中、北尾は控え室へと消えていった。
試合後、この内容について両者から語られることはなかった。
2006年、カナダでテンタが癌で死去。
さらに今年2月、北尾が腎不全で死去。
ついに、あの試合の真相は明かされることなく、当事者はこの世からいなくなった。
そして数日前、北尾対テンタが行われた同じ日にリングに上がっていた船木誠勝が自身のYoutubeチャンネルで当日の様子を語った。
当日の第一試合であるアポロ菅原対鈴木みのるの不穏時代を含め、あの日の不穏な雰囲気を語っている。
プロレス界では、あの北尾対テンタが……あの「八百長野郎」発言が、日本プロレス界に嵐を巻き起こしたSWSの崩壊の序曲だったと言われているが、
実は、控え室に来たSWS社長夫人に北尾が放った「うるせえババァ!」という言葉が、決め手となったと証言している。
崩壊の理由が何であったにしろ、プロレスラーの口からプロレスラーに対し「八百長」という言葉が出てしまったことが残念でならない。
大相撲で横綱という最高の実績を残した北尾であったが、彼がプロレス界に残した傷跡はあまりにも大きかった。