大相撲は外国人力士に主役の座を奪われ、その人気も久しく低迷したままだ。
14年ぶりに稀勢の里が横綱となり、相撲人気復活か⁉ と思われたが、ケガに泣きあっさりと引退。
貴乃花フィーバーに沸いたあのころのような人気は、しばらく戻ってきそうもない。
そもそも、昭和の時代、大相撲はプロ野球と並ぶ超人気娯楽スポーツだった。
「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉が流行したように、昭和の子どもにとって読売ジャイアンツと大鵬=「おすもうさん」は憧れの存在だったのだ。
その相撲人気にあやかって70年代に発売されたのが、力士消しゴムだ。
70年代半ばのスーパーカーブーム以来、子どもに流行したものは消しゴム化されるというのが定番の路線となっていた。
当然、「おすもうさん」もその対象となった。
ガチャガチャに20円入れて回すと出てくる力士に子どもたちは一喜一憂したものだ。
昭和49年から56年(1974~81年)、第54代横綱・輪島と第55代横綱・北の湖が凌ぎを削ったこの時代は“輪湖時代”と呼ばれ、相撲人気もひと際高かった。
憎たらしいくらい強い北の湖はアンチが多く、ファンの支持を集めたのは“黄金の左”輪島だ。
当然、消しゴムでの人気も輪島が断トツ。
筋肉質で細身ながら骨太という肉体を見事に再現。
ガチャガチャで輪島が出たならば、みんな喜んだものだ。
次いで人気だったのが、若貴兄弟のお父さん、先代の貴ノ花だ。
“角界のプリンス”と呼ばれた甘いマスクで女性人気も高かった。
強靭な足腰で土俵際での相撲も強く、輪島との“貴輪時代”も期待されたが、横綱になることは叶わず、その夢は息子たちが達成することとなった。
貴ノ花と肩を並べ女性人気が高かったのが魁傑だ。
ひたむきな相撲と精悍な顔つきで、輪島、貴乃花と並び「阿佐ヶ谷トリオ」として注目された。
消しゴムも表情、体ともに本人そっくりに造形されている。
そして現在猛威を振るっている外国人力士の先駆けとなった高見山。
「丸八」のCMで「マルハッチ!!」とカスれた声で言うのが印象的。
昭和の子どもが皆マネをしたものだ。
トレードマークであるモミアゲと彫りの深い顔も忠実に再現されている。
多彩な投げ技で人気だったのが大関・増位山。
土俵以外でも歌がうまく、レコードデビューも果たした。
角力を引退した後も歌手として活躍中である。
最後は、後に大関・朝潮となる長岡。
学生横綱から角界入り。
初土俵からたった場所で入幕というあまりの強さに、髪が伸びるのが間に合わず、マゲが結えなかった時に消しゴムにされてしまった(笑)
顔もそっくりで、朝潮以外の何者でもない。
こんな力士消しゴムを、昭和の少年たちは競って集め、トントン相撲で取る取られるといった本場所さながらの真剣勝負が放課後に行われていたのだ。
あの輝かしい時代は戻ってくるのだろうか。
子どもたちが、「すもうさん」のオモチャが欲しい! なんて言う時代になるには、やはり日本人横綱の出現が必須条件だろう。