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安田拡了のプロレスラー名言物語 第2回 長州力

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プロレスラーには名言・迷言・珍言が多い。
そして、その言葉の背景には、言葉を産んだ時代の物語やプロレスラーの生々しさが浮き彫りにされるような物語があるものだ。
言い方を変えれば「名言からみた日本プロレス史」。
では、2回目をさっそく。

今月の名言
「どんなにうまい魚でも腐るときは頭から腐るもんですよ」(長州力)

新日本プロレス史を見ていくと、1980年代から2000年にかけた大きな節目には必ず、長州力の名前が上がり、その都度、長州の口から『かませ犬』『ど真ん中』など有名な名言が生まれている。
それらの名言については後日、述べていきたいが、今回は2005年に現場監督に復帰した時期の名言「どんなにうまい魚でも腐るときは頭から腐るもんですよ」だ。
2005年の取材ノートをめくると10月11日(火)13時半、私は都内大田区にあった『リキプロ道場』に行っている。
アポイントなし。
道場に着くなり、長州が道場から出てきた。
これから新日本プロレスに行くのだという。
実は4日前の7日の新日本・後楽園大会でサイモン・ケリー・猪木社長(当時)が、リキプロの長州力を3年4カ月ぶりに新日本に現場監督として迎え入れると発表したばかりだった。
この日は細かな打ち合わせ。
石井智弘が運転する車でこれから渋谷・大橋にある新日本に行くところだという。
「拡了さん、一緒に新日本まで乗っていきますか」と長州。
もちろん車に乗った。
今回の名言は、その車中で長州が私に語った話の中の言葉である。
その前に当時の新日本について話しておこう。
当時は経営難で何度も身売りの話が浮かび上がっていた時期だった。
その中で5月、草間政一社長が猪木によってクビにされた。
もともと猪木が新日本に送り込んだ人物だったが、次第に猪木に疎まれ、突然、娘婿のサイモン氏が新社長になったのだ。
そのサイモン社長の電撃的な新日本改革第一弾が、長州の現場監督復帰だったわけだ。
記者発表が後楽園ホールだったため全選手がいた。
だから選手控室は大騒ぎになった。
選手たちにしてみれば3年前に猪木を痛烈に批判して去った長州なのに「いまさら、なぜだ!」と怒り心頭だった。
とくに超がつくほどの反長州の西村修は控室で「いったい誰が長州さんを戻そうと考えたんですか!」と興奮。
サイモン社長から「それは僕です」と返事をされて、ウッと詰まったものだった(笑)。
また会見までまったく知らされていなかった藤波辰爾はあきれ返って、なんと試合がまだ終わってないというのに正面玄関からサッサと帰ってしまった。
いかに怒っているのか、それをみんなに見せつける帰り方をしたのだ。
実は長州の現場監督復帰のアイデアはサイモン社長ではない。
そんな思い切ったことが頭に浮かぶのはアントニオ猪木に決まっている。
取材メモとして「長州みたいな頑固親父がいないとダメなんだよ。長州には頑張ってもらいたい」という猪木の発言も残っているのが、その証拠だ。
それにしても長州が新日本から去る時に、あれほどこっぴどく猪木批判をしたというのに、当の猪木はまったく意に返していない。
猪木の凄さはここだ。
また一度離れても、利害関係によって再びくっついてしまう長州もやはり猪木遺伝子を継ぐ男なんだなと納得させられてしまう。
まあ、そんな背景の中で現場監督復帰した長州力と私は一緒の車に乗ったわけである。
乗っていた時間は40分ほどだったか。
その間、私はポツリポツリと質問を投げかけていった。
取材ノートにメモされている、その時の会話を紹介しよう(当時の週刊プロレス誌上で掲載している)。

―結局、長州さんのような怖い人材が新日本には必要だったんですね。
「全然、関係ないですよ。俺がやったってなにも変わりはしないですよ。そんなに変わるもんじゃない」
―新日本は長州さんに一任すると言っている。
「熟した柿が落ちてきた」
―え、熟した柿が落ちてきた?
「いや、拡了さん。へんな意味にはとってはダメですよ。新日本から仕事が来たから、やらせてくださいというんじゃないですよ」
―しかし、厳しい時期に現場監督要請だから期待されている。
「あまりに遅すぎです。とにかくスタンスとしては頑張っている選手をどんどん出していく。前にやっていたことと変わらないですよ。リキプロも糧を得なければならない。だけど糧をもらったとは思っていない。解釈の仕方だけど、もらったとは思っていない。新日本はいろんな原因があって人数が膨らんじゃったんでしょ。どんなにうまい魚でも腐るときは頭から腐るもんですよ。もうちょっと前になんとかしないと……」

熟した柿が落ちてきた…というのも名言として推したいが、これは長州から意味を否定されたので「どんなにうまい魚でも腐るときは頭から腐るもんですよ」のほうを名言として紹介した。
これは言うまでもなく新日本というおいしい魚が腐って、どうしようもない状態になっているということで、実際この時代の新日本はレスラーが多くて、大幅なリストラが必要な時期だったということだ。
長州はまず現場の責任者だった平田淳嗣を解任。
そしてマスコミを統制する中で現場をまとめていったが、この年の11月、アントニオ猪木が持ち株51.5%を(株)ユークスに売却。
ユークス体制下で減量経営を推進する中で大幅減俸を不服として後藤達俊ヒロ斎藤のほか西村ら多くの選手が離脱し、あるいは査定によってリストラ。
以後、若手中心の新時代に向かっていく。
2007年3月、サイモン社長が突然社長を辞任。
この時、長州も現場監督を辞任したが、現在の棚橋・オカダ時代はこの時期があったから、早くやってきたのである。

安田拡了(やすだ かくりょう)

・1954年(昭和29年)5月27日、岐阜県不破郡垂井町生まれ。青山学院大法学部私法学科卒業。中日新聞系の夕刊紙・名古屋タイムズ社に記者兼カメラマンとして入社後プロレス専門記者としてもスタート。同時にベースボールマガジン社『週刊プロレス』で依頼原稿の執筆を始める。『週刊プロレス』、『格闘技通信』のスタッフ・ライターや『ワールドプロレスリング』解説者などで活躍。

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