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安田拡了のプロレスラー名言物語 第1回 棚橋弘至

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第1回

プロレスラーには名言・迷言・珍言が多い。

そして、その言葉の背景には、言葉を産んだ時代の物語やプロレスラーの生々しさが浮き彫りにされるような物語があるものだ。

言い方を変えれば「名言からみた日本プロレス史」。では、さっそく。

 

今回の名言

「100年に一度の逸材、棚橋弘至です」

 

第一回は新日本プロレスのトップレスラー棚橋弘至の名言「100年に一度の逸材、棚橋弘至です」。

 

これは新日本プロレスの棚橋弘至が2007年から言い始めた挨拶だ。

 

「おい、日本に力道山がプロレスブームを巻き起こしたのは1954年。まだ64年しか経ってないぜ」とツッコみたくもなるが、それは言いっこなし。

 

この新日本プロレスブームのおり、僕の中でこの言葉が名言に昇格してきたのは喜ばしい限りだ。現代にぴったりの軽さがあるからだ。

 

いま思い起こせば、この言葉を最初に聞いた時は、気恥ずかしかった。

 

自分のことを自分で褒めるなどというのは私の世代(昭和29年生まれ)ではありえない。日本の教育はいったい何をやってるんだ!

 

棚橋の頭は「幼児化」しているのではないかと首を傾げたものだった。

 

棚橋によれば「逸材」のネタ元は自分自身も大好きな人気テレビ「仮面ライダーキバ」らしかった。

 

自分が仮面ライダー好きだからということもあるのだろうが、「仮面ライダー」の中から言葉をパクることで仮面ライダーファンの子どもたちがプロレスを見るきっかけになってくれれば…という必死な願いがあったのだと思う。

 

それほど棚橋ら若手の肩にかかっていたのが2007年という年だった。

 

2007年の新日本プロレス。

 

いまひとつ盛り上がらない時期だった。2005年11月にアントニオ猪木がゲーム会社ユークスに新日本の株を売ってから2年目

 

放漫経営だった新日本の改革も終わり、これからさまざまなことに挑戦しようとしている時期でもあった。

 

ちなみに2006年1月の契約更改ではヒロ斎藤西村修などベテラン勢が年俸の減額を理由にやめていった。

 

なんと新日本の象徴であった藤波辰爾もいなくなった。

 

興行会社とすれば、冷え切った時代だったのだ。

 

しかし、一方で高給取りのベテラン勢がいなくなったので、ユークス新日本は若手の棚橋や中邑真輔の年俸を引き上げ、若手にとって一気に自由な風が吹き始めていた。

 

当然、いまのような活気のある新日本プロレスではなく、もう少し言えば、新日本は「新日本プロレス」本線と、棚橋や田中稔を中心にしたコミカル路線の「レッスルランド」、また新日本の現場監督を任された長州力率いる「ロックアップ」という興行を打って、「三本の矢」興行体制で小銭を稼ぐ涙ぐましい努力をしていたのだ。

 

棚橋は新日本本線のリングだけでなく「レッスルランド」にまでも出場し、試合中に半ケツまで見せる過剰なファンサービスをしたが、衝撃的なニュースにもならなかった時代だ。

 

サイモン猪木社長が辞職したことを機に2007年3月をもって、再び新日本1本路線に戻ったが、フルハウスにならず、現場スタッフの弁当も「のり弁」で節約していた。

 

つまりは、そういう低迷時の「100年に1度の逸材」発言だけに、悲壮感があった。

 

だが、不思議なもので、1、2年も経つと、こちらが平気になってきた。

 

いつの間にか「逸材といえば棚橋」と何の抵抗もなく「逸材・棚橋」を受け入れている自分がいた。

 

馴れというのはつくづく恐ろしいものだと思う。

 

繰り返し言い続けていれば、どんな恥ずかしい言葉でも、どんなに理不尽なことでも受け入れられてしまう。そう思うと韓国の竹島占拠や、中国が尖閣諸島や沖縄は中国の領土だと言い続けていることが、いまさらながら心配になってくるというものだ。

 

ともあれ、このころの「逸材」発言はまだ名言に昇格してはいない。

 

前出したように棚橋が「100年に1度の逸材」と言い始めたのは2007年からだ。

 

だいたい名言というのは、その時折に「おっ、うまいこと言うな」と思わせる瞬発力型の言葉で、あくまでその時だけのもの。

 

それを考えれば棚橋の言葉は2007年から言い続けて、いまだに言っているのだから、持続&努力型名言だ。

 

きっとそれは芸人ハリセンボン・近藤春菜「角野卓造じゃねえよ!」志村けん「アイーン」的なものかも知れない。

 

何度も言うことによってお客さんは、その言葉を待つようになる。

 

しかし、テレビの中のハリセンボンや志村は笑えたが、棚橋の「逸材」は聞いてて切なく空しかった。

 

それは場所が盛り上がっていない会場だったからだ。

 

だが、棚橋は臆面もなく「逸材」を繰り返し言い続けていった。

 

ユークスがブシロードに新日本の株式を譲ってから、ブシロードの戦略で一気に新日本プロレスは大ブームになっていったが、それは2012年からのこと。

 

いまやプ女子といわれる女子のファンも増えて、会場はノリノリでとてつもなく明るい雰囲気だ。

 

「逸材」発言には、悲壮感など、あろうはずがない。

 

逆に軽~い言葉としてウケている。そう、もともとこの言葉は軽いのだから、冷えた時代に合うはずもない。

 

いまのような明るい、軽~い時代にしか向いてなかったのだ。

 

いわば時を経て、ぴったりした時代で拾ったような名言なのである。

 

あらためて「100年に一度の逸材、棚橋弘至です」を聞く。

 

何かを成し遂げる人は自分の壁を突き抜けているが、思えばあの冷えた時代に人にどんなふうに思われようと、軽~い言葉を言い続けてきた棚橋弘至は大したレスラーだと思わざるを得ない。

 

本当にすごいと思う。そういえば2002年に交際していた彼女に別れ話のもつれで背中を刺されて九死に一生を得たこともあった。

 

それが棚橋を突き抜けさせたのかなとも思う。

 

とまあ、そのように感心しながら、「逸材」を言い始めた2007年当時の棚橋のことを考えるのは、なかなか楽しい。

 

 

 

安田拡了(やすだ かくりょう)

 

・1954年(昭和29年)5月27日、岐阜県不破郡垂井町生まれ。青山学院大法学部私法学科卒業。中日新聞系の夕刊紙・名古屋タイムズ社に記者兼カメラマンとして入社後プロレス専門記者としてもスタート。同時にベースボールマガジン社『週刊プロレス』で依頼原稿の執筆を始める。『週刊プロレス』、『格闘技通信』のスタッフ・ライターや『ワールドプロレスリング』解説者などで活躍。

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