日本のプロレス界では、数多く存在する不穏試合。
力道山vs木村政彦の巌流島決戦から、小川直也vs橋本真也の凄惨マッチまで幾度となく繰り返されてきた。
そこには、日本のプロレス界には常に“真剣勝負論”なるものがついて回り、本当に強いのはどちらなのかというものが、ファンのみならずプロレスラー自身の根底にも流れていたということもあるだろう。
しかし、プロレスの本場・アメリカにも不穏試合が存在している。
当事者となったのは、日本でも最強外国人の名を欲しいままにした超獣ブルーザー・ブロディと後にWCW世界王者にもなった世界一の肉体美を誇る男レックス・ルガーなのだから驚きだ。
1987年。
すでに誰もが知る大物レスラーであったブロディと人気、実力ともに急上昇中のルガーは、金網の中で相対していた。
金網デスマッチ。
相手をノックアウトし、リングを出れば勝ちというこの試合で事件は起こる。
序盤は、通常のプロレスを展開。
お互いの攻撃をしっかりと受け止め、派手にリアクションを取ると、観客が湧き立つ。
しかし、4分をすぎたあたりからブロディの様子が一変。
ルガーの攻撃に対し、一切のリアクションを見せなくなったのだ。
ブロディに対し、パンチを浴びせ金網に頭を打ち付ける攻撃を加えるが、当のブロディはまったくダメージがないかのようにノーリアクションで立ち尽くし、ルガーを見下ろす。
策を尽くし、なんとか試合を成立させようとするルガーであったが、それは叶わず。
最後は、諦めたようにレフェリーに暴行を加える反則負けを選択すると、さっさと金網を乗り越えバックヤードへと消えていった。
一説には、その人気を買われ、大手プロモーションへの移籍が決まっていたルガーに対する制裁だったともいわれている。
それが本当だとしたら、ブロディがルガーの技を受け続けた理由が分からない。もしその後に、制裁が待っていたのだとしたら、反則負けを選択し退散したルガーは、運が良かったということだろう。
しかし、翌年ブロディはプエルトリコで刺殺され帰らぬ人となり、この不穏試合の真相は明かされぬままとなってしまった。
せめてもの救いは、日本の不穏試合のように凄惨な結果にならなかったことだろう。
その後、ルガーはWCWで人気者となり世界王者にもなった。
あの時は反則負けを選んだが、真の勝者はルガーの方だったのかもしれない。
現在は、リングを下り御年60歳。
Twitterで元気な姿を見せてくれている。
Really looking forward to seeing everybody in Chicago this weekend 👊 pic.twitter.com/QG0NBbKG6B
— Lex Luger (@GenuineLexLuger) August 28, 2018